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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)11677号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、(一) <証拠>から、本件事故現場の状況はほぼ別紙図面のとおりであると認められる。

(二) <証拠>によると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる確証はない。

すなわち、被告荒原は被告車を運転し、事故現場手前の江古田二丁目バス停留所に停車して乗客一名を降ろし(図面①)、右側のフラッシャーで合図して発進し、そのまま右折のためセンターライン付近(図面②)へと通常の発進後の速度程度の緩速度で進行し、同地点に至つたとき瞬時停止した。その際左前方に原告車を発見したが、いまだ約四〇メートルの距離があるので、原告車が近接する前に右折し終るものと考え、そのまま右折を継続しようとして図面③の地点まで進んだところ、原告車がキー・キーとブレーキ音を発し、後部を左右に振るようにして接近してくるので、危険を感じ、ブレーキを踏んで、図面④の地点で停止した。同被告としては、原告車の前部を通り抜けるのを期待したが、停止して間もなく原告車の右側後部フラッシャーが被告車の前部バンバー右端に接触し、サイドボール付近に原告車のバックミラーが接触し、原告車が転倒、訴外利邦が路上に投げ出された。

被告車の目白―田無に通ずる道路に対する角度について。

乗客であつた林茂は、運転台の後方の一番後の席に運転者の方を見るようにしていたが、被告車が幾分斜めになつたように感じた旨供述し、同じく事故の際運転席の後ろの席に坐つており、背伸びするようにして前方を見ていた関野美佐子は一台の単車が早く走つて来るので危いな、ぶつかるのではないかなと思いながら見ていた旨供述している。そして原告車が被告車の前部バンバー右端に接触していることは、右認定のとおりであり、そうすると、被告車の角度は、図面の程度の角度であつたと推認しうる。

なお、被告荒原は、原告車が約四〇メートルの距離に近接して漸く原告車を発見したことは、多少遅きに失するといえなくもないが、事故の発生は午後九時五〇分頃であり、被告車の前照燈の可視範囲はビームライトにしていなければ五〇メートル程であつたと考えられるし、又原告車は二輪車であるから、その前照燈であることを遠方からは明確に識別しえない状況下にあつたとも考えられ、少くとも被告荒原において、後述の被告車の速度までは正確に把握しえなかつたものであると認めうることなどを考慮すると、これをもつて同被告の過失とはとらえ難い。

(三) <証拠>によると、次の事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

原告車はカワサキ六七型三五〇ccであり、平坦舗装路においてスリップ痕の長さ23.50メートルから推定される制動前の速度は、熟練者で毎時六〇〜六五キロメートル、通常人の場合では五〇キロメートルないし六〇キロメートルであり、フットブレーキすなわち後輪のみブレーキをかけた場合には約四五キロメートルである。

原告車進行方向に対して道路は緩く下りに傾斜している。衝突後原告車は約六〜七メートル目白方面に行つた地点に転倒しており(図面転)、原告はさらにそれより約四三メートル目白方面寄りに転倒していた(図面害)。

ところで、右事実から原告車の制動前の速度を正確に算出することは極めて難かしいが衝突前の原告車の前記状況、接触後の訴外利邦の転倒位置、又スリップ痕を残す以前の空走距離約7.5メートルを入れて衝突地点付近までの約三〇メートルの間訴外利邦は制動以外の何等の措置もとつていないこと、経験則上時速六〇キロメートル以内で走行し、障害物まで三〇メートル以上の距離がある場合には、二輪制動をかける余地がない程危険な状態もしくは驚愕の状況にあるとも言いがたいことを考慮すると、原告車の速度が毎時六〇キロメートルを超えていたことは、十分推認しうる。

(四) そこで以上の事実をもとに被告荒原の過失および訴外亡利邦の過失を判断する。

(被告荒原の過失)

被告荒原は図面②の地点で、約四〇メートル前方に進行して来る原告車を発見したのであるから、仮りに原告車が制限速度の毎時四〇キロメートルで走行して来たとしても約3.6秒で被告車の地点に到達してしまい、一方被告車は発進速度の遅い大型バスであり、全長一〇メートルを超し、幅も2.4メートルもあり、被告車が時速一〇キロメートル程で右折を完了するには、少くとも五〜六秒、後部に原告車が十分通過しうる余地を残すにも二〜三秒は必要であるから、原告車が被告車に道を譲つてくれない場合も考慮して、原告車の動静を十分確認してから右折を継続すべきであるにもかかわらず、これを怠たり、原告車の速度に対する十分な配慮を欠いたまま右折したため、原告車の予想外の速度による接近に対処しえなくなり、前部にかろうじて単車一台が通り抜けられるだけの余地を残すのみで、道路を閉塞するような状態で停止したのである。よつて被告荒原にこの点の過失が認められる。

(訴外亡利邦の過失)

訴外利邦は制限速度をはるかに超える速度で進行し、しかも被告車の存在および被告車が右折の合図をしていることに気づかず、既に原告車の約四〇メートル手前から右折をしはじめている被告車の動静を約三〇メートル手前になつてからはじめて気がつき、単に急制動するのみで何等他の避譲の措置を講ぜず、しかも被告車直前に至つてもなお進行左方の江古田方面へハンドルを切ることによつても通常の速度ならば避けえたのにこれを行わず、既に停止している被告車の前部バンバー右端に接触したものである。よつて、訴外利邦にこの点過失が認められる。

(両者の過失の程度)

前認定の事実関係の下においては、被告車は、原告車との間に少なくとも三九メートルの間隔を置いて右折を開始しており、原告車の速度が通常であるかぎり優に右折しうる状況にあつたものというべきであるから、被告車は、原告車との関係において道路交通法三七条二項の「既に右折している」車輛にあたるものというべきである。この場合、原告車の過失の程度は、被告荒原の過失の程度に比べて大きいものといわなければならず、前認定の事実関係に照らして双方の過失を割合をもつて示すと、原告車七、被告車三と認めるのが相当である。

被告荒原は、被告会社の従業員であつてその業務執行中であつたこと、被告会社は被告車の運行供用者であることは、原告らと被告会社との間において争いがない。そこで、被告荒原は民法七〇九条により、被告会社は人損につき自賠法三条、物損につき民法七一五条により、それぞれ訴外利邦の死亡によつて生じた後記損害を賠償する義務がある。

二、<証拠>によると、訴外亡利邦は訴外水野幸夫に雇われ、事故当時いわゆるスナックバーを営む水野経営のコーヒークーチュールミズノ(目白店)のカウンターチーフとなつていたこと、事故当時の訴外亡利邦の給与は三食付で三万五五〇〇円であつたこと、事故当時、同店で最も高い給与を得ていた者でも本給五万二〇〇〇円であつたこと、訴外水野に傭われている者で、勤続年数の最も長い者で七年であり、短かい者は一カ月程で辞めていく者もいたこと、の各事実が認められる。

ところで、原告らは亡利邦が年五分から一割の割合による昇給をするとの前提で逸失利益を算定している。証人小野幸夫の証言から真正に成立したものと認められる甲第二号証によれば、亡利邦は、昭和四一年一月より昭和四二年七月まで大体において一ケ月五〇〇円の割合で昇給して一ケ月の給与額三万五五〇〇円となり、同七月より死亡時の一一月までは据置きとなつていることが認められる。右昇給は貨幣価値下落にともなう評価としての昇給分として見ても、原告らの主張するような割合の昇給になるとはいえないし、また、前認定の亡利邦の勤務先の業態、同店の最高給者の給与額に照らすと、亡利邦は、本件事故時以後従前のような割合による昇給を続けることの証拠が十分であるとはいい難い。

そこで、逸失利益算定の基礎としては前認定の一カ月三万五五〇〇円および三食付の現物支給による利益を金銭的に評価した額によらざるをえず、その実質的収入は高くとも月五万円年収六〇万円を超えることはないものと認められる。そこで生活費として右収入の二分の一を控除し、さらに民法所定年五分の中間利息をホフマン式計算により控除して、訴外亡利邦の二五才から六三才までの三八年間の逸失利益の現価を算出すると五九七万五一〇〇円となる。

別紙図面<省略>(坂井芳雄 小長光馨一 佐々木一彦)

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